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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[76]

投稿日:2013年10月7日

間宮林蔵、樺太に渡る

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2008年12月3日

 夕日が宗谷岬を赤々と染める頃、宗谷岬を出発。落ちていく夕日を追ってアドレスを走らせる。
 国道238号を南へ。オホーツク海から日本海へと海が変わった。日が落ちていくのにもかかわらず、気温が上がった。
 宗谷岬のすぐ南、珊内の海岸から間宮林蔵は樺太(サハリン)に渡った。そこには「間宮林蔵渡樺の地」の碑がある。案内板には次のように書かれている。

ロシアの南下政策に驚いた幕府は文化5年(1808年)4月13日、間宮林蔵と松田伝十郎を北蝦夷(樺太)の調査に向かわせた。流氷は去ったものの、なお酷しい寒気と荒波の宗谷海峡をのりこえて人情、風俗の異なる北蝦夷に渡り、東海岸を調べた。この年、林蔵は再び北蝦夷に渡り越冬した。翌文化6年の春、西海岸を北上し、北蝦夷は大陸とは海峡を隔てた島であることを確認した。夏には大陸交易に赴くギリヤーク人に同行し、アムール川下流の満州下府デレンを訪れ、この地方の情勢を調査し、「東韃紀行」として報告した。後にシーボルトはこの海峡を「間宮の瀬戸」と名付けて世界に紹介した。

「間宮林蔵渡樺の地」からさらに国道238号を走り、宗谷漁港まで行く。そこでアドレスを止め、日本海に落ちていく夕日を眺めた。夕日は利尻富士の右手に落ちていった。
 宗谷漁港から宗谷岬に戻ると、「民宿宗谷岬」に泊まった。夕食も用意してもらったが、この夕食がすごくよかった。まさに「北海の幸三昧」。サケのルイベとタコ、ホタテの刺身。サケのルイベはたたき風にしてある。ホタテにもちょっと網目が入っている。こうして少し焼くと、ぐっと風味が増す。ニシンの焼き魚、マスの飯ずし、カジカのともあえ、身欠きニシンの切り漬け、醤油、南蛮、糀で漬けたタコの三升漬け、ズワイガニと、うれしくなってしまう「民宿宗谷岬」の夕食だった。

第14日目:網走→宗谷岬
2008年12月3日
走行距離:309キロ(合計4,095キロ)
費用:
ガソリン 569円
オホーツク温泉(入浴&昼食セット) 1,000円
ガソリン 694円
枝幸温泉 500円
ガソリン 431円
宿泊(1泊2食) 7,500円
合計 10,694円
総計 143,023円


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夕日に染まる宗谷岬の灯台
珊内の間宮林蔵渡樺の地


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宗谷漁港で見る落日
宗谷漁港から宗谷岬に戻る


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「民宿宗谷岬」の夕食
サケのルイベとタコ、ホタテ


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